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資料室

MERACの代表である江橋正彦がこれまでミャンマーについて執筆、発表してきたもののうち主なものを、ミャンマーに関する資料として公開していきます。

ミャンマーにおける国際労働移動の実態と課題

2014年9月

早稲田大学ベトナム総合研究所の「東アジアの国際労働移動」の調査プロジェクトに参加し、ミャンマーの国際労働移動について2014年9月にまとめたもの。

本稿は、文真堂から「東アジアと労働移動」として2015年2月に出版予定書籍に掲載される予定。

 

 

ミャンマーの新外国投資法制の内容と特徴

2013年5月

ミャンマーの外国投資法制は、昨年11月に新外国投資法が発効、今年1月末に同施行細則およびMIC通達が発表され、その大枠があきらかになった。今年6月25日から始まる国会では、懸案の経済特区法、コンドミアム法および知的財産関連法が審議成立の見込みで、ミャンマーの外国投資環境にかかわる法制度の全容がより明確になる。

本資料は、新外国投資法および同施行細則・MIC通達の内容を旧法制と比較分析し、どこがどう変わったのか?、新しい外国投資法制の特徴をどうとらえたらいいのか?、ミャンマーの投資環境はテイン・セイン政権下でどのような改善をみたのか?等について解説を試みた。資料末尾の「対ミャンマー投資有望業種」も参考になろう。

 

新外国投資法成立の経緯・内容と今後の課題

2012年12月

2012年12月24日、日本に一時帰国した際に「日本・ミャンマーソサエティ」で行った講演の際のパワーポイント資料。新投資法概要と問題点、細則(草案)の注目すべき点、外国投資法制定の過程で見えたミャンマー政治の内幕などについて紹介した。

 

ミャンマーの政治・経済・国際関係と今後

2012年6月

2012年6月に東京大学東洋文化研究所緬甸研究会で行ったレクチャーの際のパワーポイント資料。テインセイン政権13か月の評価、テインセイン政権の民主化、西側諸国との関係改善の取組の背景、少数民族武装勢力との交渉、今後のシナリオ、中国、インド、日本との関係など多方面から分析。

 

ミャンマー経済のゆくえ第3回MJS講演資料

2011年7月

2011年7月、「日本・ミャンマーソサエティ」第3回会合で行ったミャンマー経済に関する講演のパワーポイント資料。中国の対ミャンマー援助や米国の制裁と民主化との関係、ミャンマー人の生活感などにも触れている。

 

新憲法制定後のミャンマー情勢

2009年4月

国民投票によって新憲法を批准した軍事政権は民主化ロードマップに沿って2010年の総選挙に次の照準をあてるとともに、欧米諸国や国連との関係改善に動き出した。オバマ政権の対ミャンマー政策変化の可能性や選挙を控えたミャンマーの実情、リーマンショック後のミャンマー経済の苦境等について触れている。三木会(ジェトロ事務局)でのレクチャーの際の資料。

 

SPFキンニュン失脚後のミャンマー情勢

2006年3月

2004年10月にキンニュン首相および同首相と関係の深かった数名の閣僚や200名を超える情報部幹部が逮捕された事件の背景を探るほか、その後のミャンマーの行方をミャンマー経済や国際関係を踏まえながら分析したもの。

 

5.30事件後のミャンマーの最新情勢分析

2003年9月

2003年5月30日に起きたスー・チー女史一行への襲撃事件(「ディーペイン事件」)の背景と事件後の米国制裁強化のもたらした影響、キンニュン首相誕生の背景と今後の見通し、日本のとるべき対応等について触れている。三木会(ジェトロ事務局)でのレクチャーの際の資料。

 

「ミャンマーの発展戦略のあり方」高官説明資料

2003年4月

2003年3月に日緬両国の共同プロジェクトとしてすすめられた「ミャンマー国経済構造調整政策支援調査報告書」がミャンマー政府に提出されたのを契機に、ミャンマー政府高官の「ミャンマーの経済発展戦略」についての理解を得るための資料を作ろうと、元ミャンマー経済大学学長のDr. Myat Theinと江橋が作成したもの。

 

中緬および泰緬国境貿易視察報告

2002年9月

中緬貿易を視察のため中国雲南省側からとミャンマー側の双方から取材。中国のイラワジ川コンテナ輸送計画の可能性を探るためイラワジ川をバモーからマンダレーまで16時間かけてスピードボートで下った。また、タチレクから泰緬国境貿易を取材した。

 

軍政下におけるミャンマーの市場経済化と課題

2000年1月

1989年にそれまでの「ビルマ式社会主義」を放棄し市場経済化に向かったミャンマーのその後の10年間の経済構造変化を多方面から分析するとともに、通貨危機後のミャンマーの経済政策の特徴と今後の課題を提示した。先の「ミャンマー政府への提言」の内容の一部も含まれている。

 

ミャンマー政府への提言

1999年3月

1998年11月~1999年2月ミャンマーに滞在して書いたもので、その英文報告書は、キンニュン第1書記、エーベル国家計画・経済開発大臣、オンジョー外務大臣に提出された。このペーパーがその後、エーベル大臣およびキンニュン第1書記にミャンマーの経済改革の必要性と日本からの経済改革支援を受ける決心を促す役割を果たした(エーベル大臣)由。

 

ビルマの光と影 アジア時報

1975年4月

1975年2月、初めてのビルマ(当時)訪問時の紀行文。1974年12月にウ・タント前国連事務総長の遺体をめぐる暴動で夜間外出禁止令が続いていた。政府の検閲が厳しく、ビルマの影の部分を書くと以後、ビルマに入国できなくなる可能性があるからとの毎日新聞アジア調査会のアドバイスで偽名”ジョージ・ノーラン”の名前で執筆。泰緬国境貿易を見ようと汽車でモールメインを訪問。ミャンマーの人々の優しさ温かさに感動した旅だった。